くりのひとりごと

夢を追いかける推したちに広がる世界が、優しい世界でありますように

生粋の嵐オタがトラジャ担になるまで part3

端的に言うと、私は嵐とトラジャの掛け持ちである。

嵐一筋だった私がJrにハマったきっかけをくれたのは、高校時代の親友だった。

思い返せば高校の時は部活一筋で、親友とは部活の同期でもあるがそんな話は一度もしたことがなかった。


そして、親友がJr担であることも全く知らなかった。

きっかけは、去年一緒に飲んでいるときのことだった。
親友がたまたま荷物を落としたので拾うと、なんとジャニショの袋!

親友はジャニーズに興味がないと思っていたので、結構衝撃的だった。仲間じゃん、、、と。



ここまで読んだら親友がトラジャ担だったと思うでしょう。これが違うかったんだな〜。


私がまずJrとして初めて認識したのは岸くんだった。
なぜなら、親友が5年来の岸くん推しだから。
そして、少しの間キンプリメンバーにどハマり。
(ちゃっかりファースト魂dvdも持ってる)

そこから、少クラ、ガムシャラ、Jr. dex、過去のコンサート映像など諸々を見漁ることになる。

Jr.の何がすごいってね、この子いいなって思った頃にはもう沼に浸ってることなのよ。

そして、見つけてしまったのだ。




松松を。
小学生の時に嵐を見た時以来の感覚だった。



きっかけはガムシャラの映像。
特にげんげん(松田元太くん)は当時中3にもかかわらず、飛び抜けてイケメンで大人っぽい。
しかも喋ると、マシュマロじゃん。
ぽちゃ(沼に浸る音)

そして、お兄ちゃんガチャのニコ役で登場していたまつく(松倉海斗くん)。
、、、なんじゃこのきゃわいい笑顔は!!!!
くしゃっと系笑顔厨の私にとっては最高峰の逸材。
だが、そんな天使のような見た目とはギャップを感じる超真面目で男っぽい性格。
ずぼぼぼぼぼぼ(沼にさらに浸る音)

 


私は初め松松シンメのことを知らなかった。
それがどんなに人生損していたことか、、、
この2人が最強シンメになるべくしてなったことを知ることがどんなに尊いか、、(遠い目)


そもそも、私はジャニオタであるにもかかわらずシンメにさほど興味を持ったことはなかった。
それでこそ、嵐のコンビがらみはすっごく好きだったが(にのあいとか)、嵐自体にその文化があまり根付いていないからかもしれない。


だが、松松シンメのエピソードを漁りまくった結果、シンメ厨へと進化したのだ。

 

 


その理由は、松松シンメの圧倒的絆にあると思う。

私はなにせド新規の松松推しなので、ここからの見解は温かい目でご覧ください。

一番松松エピソードで好きなのは、ずっと一緒にシンメとして活躍していた2人が離れ離れになった約1年のことである。

基本的には、ずっと一緒にちびジュ時代から活動してきた2人。1人よりも2人でいることを大切にしてきた2人が、ある時を境に別々に活動をすることになった。

それがまつくのSHOCK出演

心細いげんげんに向かって、まつくはこう言ったそうだ。



「俺たちお互いが別の場所で経験したものを合わせたらもっと強くなれる」

 
 

この言葉が松松それぞれの背中を押してくれたんじゃないかなって、オタクは勝手に解釈している。

先日の雑誌で、そのオーディションをげんげんが受けていたことも明らかになっていた。
 
 
 
ずっと一緒にやってきた、シンメの片方だけがオーディションに受かった。
 
 
 
10代そこらの子がそんなきつい現実を突きつけられると、嫉妬が表に出てしまったり、努力することが嫌になることだってあると思う。
 
 
そのときの心情はげんげんにしか分からないけど、そこでめげずに強い志を持って成長を続けていったげんげん。
 
 
その時に乗り超えたことは、今に繋がっていると、オタクにも伝わってきてるよ。
 
 
 
 
げんげんは本当に強い人だと思う。
そして、周りの人を大切にできる人だ。
 
 
 
 
松松SHOCK エピでも飛び抜けて印象的なのは、げんげん単独のSHOCK大阪遠征。
 
 
東京から大阪に行くまつくに自分の家で激励会をしたげんげん。本当に出来た子すぎる、、
 
 
そして、まつくの勇姿を見に当時中3だったげんげんは大阪のSHOCK公演を観に行った。
 
 
そこで多くのプロフェッショナルな方々に囲まれながらも精一杯頑張るまつくをみて涙が止まらなかったそうだ。
 
 
ずっと一緒にいたシンメが、自分とは違うステージで輝いていた。
 
 
その姿が、心細かったげんげんの背中を押してくれたんじゃないかと思う。
 
自分も負けてられないと。
 
ちなみに、公演が終わり東京に帰るために新大阪にいたげんげんは、どうしても自分の溢れんばかりの感情を抑えることができなくて、駅でもまつくに電話をかけたそうだ。
 
 
なんて感動的なエピソードなんだ、、、!
 
 
そう、このSHOCK公演が松松シンメの運命を突き進めたのだ。
 
 
そこから、松松2人はそれぞれに激動の一年を過ごし、急激に力をつけ、成長していった。
 
それはもう、とてつもなく目まぐるしく。
 
 
そしてついに、Theyクリエでの松松シンメ実質の復活。
バラバラになったシンメが、お互いに力をつけてまた一つになったのだ。
(はぁ、くそエモい!!)
 
 
ジャニーズ界で、シンメが解体される話なんて吐いて捨てるほどある。
当たり前だと思っていたシンメの存在は、実体がなく儚いものなのだ。
 
でも、松松シンメはまた復活した。
それは2人が実力で勝ち取ったものだと思う。
 
そして、松松がシンメであることにこだわり、シンメであることを自分たちが心の底から愛していた結果でもあるだろう。
 
そこでも松松は爪痕を残すこととなる。
 
 
そして、2017年の松松揃ってのSHOCK出演。
まつくに続き、げんげんも自らの力で勝ち取ったのだ。(死ぬほどエモい)
 
また、その積み重ねが湾岸でのTravisJapan加入に繋がっていく。
 
松松は、少しずつ少しずつ夢を掴んでいる。
 
その姿が大好きだ。
眩しいステージの中で輝き続けている松松をこれからもずっと見ていたいと思う。
 
 
 
 
ここまで熱烈に語ってきたが、私は超がつくほど松松に関してはド新規。(2回目)
ご指摘などあればどしどし受け付けております、、、
 
松松が気になって色々調べて、松松の沼に深く浸かりこんでいる感じだ。
 
 
そして、松松が現在TravisJapanに加入しているのは周知の事実。
 
私もそこにはすぐにたどり着いた。
 
TravisJapanのことも自分なりにいっぱい調べて、今までにいろんなことを乗り越えてきているのを知っている。 
 
 
 
けど、それ抜きにしてもトラジャのパフォーマンスは素晴らしい。
 
トラジャ担になる前に、先入観は持たないでおこうと初めて目に入れた媒体はジャニーズJr.チャンネルだった。
 
 
 
そこでみたトラジャの夢ハリ。
圧巻。その一言に尽きるパフォーマンスだ。
 
後々調べて知ったが、あれがアンコールだって誰が信じるだろうか、、、
 
アンコールとは思えないほど、ガムシャラに踊るトラジャ。
メンバー全員から、何よりもステージに立つことが好きだということが伝わってきた。
 
 
そのとき心に決めたのだ。
 
この子たち全員が、ステージの上で輝き続ける未来を一緒に見るぞ!と。
 
そのためにこの子たちの味方になって、全力で応援しようと。
 
そう思わせてくれたトラジャには感謝である。
 
 
 
「明日はない覚悟して 今日を生きよう」
夢ハリのこのフレーズがすごく好きだ。そんな覚悟がトラジャ全員から見て取れるから。
 
 
これが、私がトラジャ担になった全貌だ。
 
本当に拙い文章で申し訳ないです。
ここまで長いことお付き合いいただきまして、ありがとうございました。
 
 
 
追記
松松がトラジャに加入した後に欠かせないエピソードを書くのを忘れていた。
 
そう、横アリのスワンソング案件だ。
 
松松にとって、スワンソングは思い入れの強い一曲。初めて少クラでシンメとして、2人メインでやらせてもらった曲だ。
 
それから何度かスワンソングは披露していて、松松シンメを象徴する曲といっても過言ではない。
 
この曲を横アリで披露したことについて、まつくはとらまるでこのように述べていた。
 
松松ファンへの「今まで応援してくれてありがとう。そしてこれからも末永くよろしくお願いします。」というメッセージをこめて、この楽曲を2人で選びました。

 

儚い少年だった松松は、立派な青年に成長し、今もなお一緒に活動を続けている。

 

トラジャというグループに属しながらも、松松を本人たちが大切にしていることが何よりも嬉しかったし、なんなら泣いた。

 

トラジャに入ることでまたいろんな可能性が広がった。それはファンとして何よりも嬉しいことだ。

 

しかし、松松を大切にするファンを置いてきぼりにしない松松。

松松はいつだってファンを大切にし、寄り添ってくれている。

 

こんなのついていくしかないでしょう!

大好きだぜ!松松!!